名古屋地方裁判所岡崎支部 平成4年(ワ)401号 判決 1994年7月22日
主文
一 被告らは原告に対し、連帯して金六〇六万七七三五円およびこれに対する平成二年八月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は全部被告らの連帯負担とする。
四 この判決は右一項に限り仮に執行することができる。
理由
第一、原告が本訴提起当時愛知県立丁原高等学校に在学していることが《証拠略》によって認められる他、請求原因第一項一ならびに同項二1および2の各事実は当事者間に争いがない。
第二、一 原告と被告乙山春夫が在学していた安城市立丙川中学校の卒業式である平成二年三月九日、同校格技棟において右両名の間で暴力行為があり、原告が負傷したことは当事者間に争いがない。
そこで、右事件に至る経緯を検討する。
1 《証拠略》を総合すると、
(一)(1) 原告と被告乙山春夫は中学校三年生より同クラスとなったが、原告は身長一六〇センチメートルで内気で無口のコツコツ派タイプであるに反し、同被告は身長一七〇センチメートルのがっちりした体格で、サッカー部に所属し、落ち着きがなく、すぐ他人にちょっかいを出す性格であったところ、
(2) 同被告は原告と同クラスになった一学期の頃より内気な原告に対して首を絞めたり、原告を馬鹿にする態度を取るようになっており、二学期、三学期になると原告に対する嫌がらせを益々エスカレートさせ、シャープペンシルの先端で原告を突こうとしたり、ベランダに締め出したり、体育館シューズを水びたしにしたり、学生服にチョークの粉をつけたりするので、原告は我慢の限度を越えて反発ないし反抗するようになっていたのであるが、
(3) 右卒業式の一週間位前には帰宅しようとした原告に対して同被告がその先端部に画鋲を突き刺したスリッパで何の理由もなく蹴りつけてきたので、原告が手で防ぐと手に激痛が走ったことがあるのに、右卒業式の前日にも同被告は両方のスリッパに画鋲を刺して原告を蹴りつけて、原告の足や手に画鋲を突き刺し、原告が反抗してスリッパを取り上げようとしたところ同被告は拳骨で原告に殴りかかってきたことにより、原告は唇を切り、また前歯を一部欠けさせたのみならず、同日運動場において石を原告目掛けて投げ付けるなどの嫌がらせをしていたこと、
(二) 卒業式である平成二年三月九日午前九時頃より、原告と同被告は他の三年生と共に式場入場のため同中学校格技棟で待機していたのであるが、午前九時一〇分頃同棟北東端寄りで同被告がやにわに原告に殴り掛かってきたので原告も我慢し切れず同被告の頬を殴り返して喧嘩となったところ、担任の岩井正泰教諭が仲に入りこれを仲裁して一旦は二人の喧嘩が治まり、原告はクラスの列中位の位置に膝を手で抱えるようにして床に座り、同被告はクラス列前から二番目の位置に座ったこと、しかしながら同被告の気分は治まらず午前九時二〇分頃近くに居た同教諭に持物置場に帽子を置いてくると告げて立上がり、クラスの列の間を歩いて原告の側に行き、やにわに原告の右後方から原告の顔面目掛けて足蹴にしたため、原告は口から血を出してその場で倒れてしまったこと、その後同教諭などの応急手当てにより原告は痛みをこらえて卒業式を待機していたのであるが、遂に我慢し切れず途中で退場して八千代病院において治療を受けるに至ったものであること、
が各認められるところである。
2 被告乙山春夫は、《証拠略》において、
(一) 原告に対してスリッパに画鋲を刺したり、体育館シューズを水で濡らしたり、学生服にチョークの粉をつけたりなどしたことはなく、他の学生が原告に対して二、三度そのようなことをしたのを見た覚えがある、
(二) 卒業式の前日原告と最初はふざけ合い程度であったが、段々とエスカレートして取っ組み合いの喧嘩となった、喧嘩のきっかけは覚えていないが、担任の岩井先生が止めに入ったが、原告はそれで治まらなかったようで、その日の帰りに靴脱ぎ場所で待ち伏せしていたので、友人が原告を止めてくれたので、被告乙山春夫は走って逃げ帰った、
(三) 卒業式の日、同被告は突然原告から殴られ、同被告は自分の手を顔に当て呆然と身を守っていたが、止めに入った岩井先生が一方的に同被告が悪いような形で二人を引き離したので、気が治まらず自分の席に戻る途中でひざを抱えるような格好で前かがみで座っていた原告を蹴ったが、決して顔面を目掛けて蹴ったものではない、当日、友人の甲田が後ろから原告の肩をポンポンと触ったのを原告が同被告がちょっかいを出したと誤解して同被告に殴り掛ってきたという話であった、
と供述するが、《証拠略》に照らしてただちに措信し難い。特に、卒業式待機の原告と同被告の座っていた位置からすれば二人の位置はかなりの離れた距離にあったのであり、そこから同被告において原告に対しての遺恨により故意に帽子を置くという口実を設けて原告に仕返しをしに行ったと看られるのであり、原告の座っている格好からすれば原告は全くの無防備であったといわなければならない。
被告らは、卒業式の日被告乙山春夫が原告を蹴った最大の原因は原告自身の誤解から始まったとし、また、偶発的衝動的であるとし、顔面を目掛けて蹴ったものではないとして悪質なものではないと反論するけれども、前記1(一)(1)ないし(3)認定のとおり画鋲の突き刺さったスリッパで殴り掛るなどは単なるふざけ合いの程度をはるかに越えており、その本質はいじめそのものであって同被告の嫌がらせは段々と程度を増して来ているのであり、それが伏線となって卒業式の日の足蹴に至り、後記のとおり原告に甚大な傷害を与えるに至ったものであることを考え、また、同被告がサッカー部に所属し人よりもキック力に優れていること、原告の無防備な姿勢に加えて卒業式待機中の二人の距離から看ると同被告が用事にことかけてわざわざ席を立って原告を蹴りに赴いたことを合わせ考えると、決して同被告の責任はこれを軽々に論ずることはできないといわざるを得ない。
二 《証拠略》によれば、被告乙山春夫は誰彼となくちょっかいを出す性癖があり、原告に対しては日頃よりいじめや嫌がらせをしていたことは同クラスの訴外乙野梅夫などのクラスメイトや担任の訴外岩井正泰教諭にはある程度知れ渡っていることであり、同被告は三年生の夏休みに行われたサッカー予選を観戦中に同被告が周りの生徒に暴力を振るったこともあり、同被告はその両親の被告乙山松夫および被告乙山竹子とともに相手に謝りに赴いたことがあることが認められるところであるから、これを考えると被告乙山松夫および被告乙山竹子としては子である被告乙山春夫のこのような粗暴な性格があることに常日頃から注意をし、他人に暴行傷害行為を行わないよう充分に指導監督すべき義務があるのにこれを怠った結果、同被告の本件加害行為が生じたものといわなければならず、右注意義務違反の程度は大きいものがあるといわざるを得ない。
被告乙山松夫および被告乙山竹子は、被告乙山春夫に対する躾は格別甘くしていたわけではなく、親との対話もあり、被告乙山春夫に対しては、「ふざけ合っても手だけは出してはいけない。」と教えていた、と反論するが、これに関する《証拠略》は《証拠略》に照らしてただちに措信し難い。
また、本件事件が偶発的であり、被告乙山松夫および被告乙山竹子にとってみれば、予見可能性もなかったと主張するが、前記認定の被告乙山春夫の他人にちょっかいを出していじめをしたがる粗暴な性格およびそれが段々とエスカレートしてきた経緯からすれば到底措信できないところである。
三 よって、被告乙山春夫、ならびに被告乙山松夫および被告乙山竹子は民法第七〇九条に基づき、本件加害行為により原告の受けた損害について連帯して賠償する責任を負担することは当然であるといわなければならない。
第三、つぎに、本件加害行為により原告の受けた傷害の程度および損害について検討する。
一 《証拠略》によれば、
1(一) 原告は受傷した平成二年三月九日八千代病院において下顎骨骨折と診断されて入院し、骨折線上の「8を抜歯し、顎内および顎間固定施行を行うなどの治療を受け、同年三月一三日退院し、同年三月二六日まで同病院に通院治療を受けていたこと、
(二) 同年三月二六日より愛知学院大学歯学部付属病院において治療を受け、(イ) 下顎骨折による右下口唇麻痺を主訴としていたのでX線診断の結果、右側下顎偶角部骨折および3」部下顎骨骨体骨折と診断され、(ロ) 咬合関係は経過良好であった、(ハ) 同年四月一〇日顎間固定が除去されたこと、
(三) 同年八月二八日名古屋市立大学病院の診断では、下顎骨骨折後遺症として、(イ) 右側頤部知覚麻痺、(ロ) 咬合不全、(ハ) 「71歯冠破折と診断されていること、
2 右傷害により原告は請求原因第二項二(一)ないし(七)記載の症状を訴えていたが、平成五年八月六日現在の時点では、右(一)の点については顎の重苦しさが残っており、右(二)の点については一年間は苦労し、当初食欲不振が続き一〇キロも痩せたことがあるが、噛み合わせは少しづつ改善されてきていること、右(三)の点については体操をしたりなど原告の努力によって一、二年後には改善の兆しが見えてきたこと、右(四)の点についてはまだ時々そのような状態が見られること、右(五)の点については原告において気を付けていること、右(六)の点についてはまだそのような状態が続いているが、原告において鏡を見ながらひげをそり、血が出ることのないよう注意していること、
が各認められるところである。
したがって、右1および2を総合すると、原告の下顎骨骨折は「8部位の抜歯、3」部位下顎骨骨体骨折、「71部位(すなわち、「7部位と「1部位)歯冠破折に見られるとおり下顎右側半分以上に亘る広範囲のものであって、平成五年八月六日現在に至るも原告には請求原因第二項二2(一)(四)(六)のような訴えがあり、また、(二)についても完治したというには至っていないというべく、原告の右側頤部知覚麻痺および咬合不全の後遺症は存在するといわなければならない。
被告らは名古屋市立病院の医師が平成二年八月二八日に一度しか診断していないことをとらえて原告の後遺症は存在しないと反論するが、平成五年八月六日現在に至るも原告にさきに看たとおりの主訴があることから理由がない。
二1(一) 《証拠略》により、治療費として八千代病院において金一七万一〇八〇円、愛知学院大学歯学部付属病院において金二万四八七五円、名古屋市立大学病院において金二七三〇円を要したことが認められる。
ただ、池森矯正歯科および渡辺歯科において原告が治療を受けたことおよびその治療費についてはこれを認めるに足りる証拠がない。
なお、原告は日本体育学校健康センター災害共済給付金から金七万四八六〇円の給付を受けたことを自認しているので、これを損益相殺すると治療費は合計金一二万三八二五円となる。
(二) 《証拠略》によると、原告は八千代病院に入院中に急遽口腔外科で四時間に亘る手術を受けたほか、平成二年三月一二日と一三日、ならびに一五日と一六日の二回高校入試を受けており、その後の通院治療には前記名古屋市立病院において診断を受ける頃まで約四ケ月に亘っていると認められるので、原告の請求する入院慰謝料金七万七〇〇〇円および通院慰謝料金八一万円の程度は相当としてこれを認める。
(三) 入院雑費金六五〇〇円については当事者間に争いがない。
(四) 《証拠略》によると、前記のとおり八千代病院に入院中は四時間に亘る手術や二度の高校受験等に母である訴外甲野花子の付添いを要したと考えられるので、その付添看護料金二万七五〇〇円は相当としてこれを認める。
2 原告は本件事件当時、中学三年生で満一五歳であるところ、昭和六三年度賃金センサスによれば同年代の平均給与額は年金一四六万一三〇〇円であって、前記後遺症の程度は局部に頑固な神経症状を残すもの(例えば自動車損害賠償保障法施行令別表第一二級第一二号参照)であって、その労働能力喪失率は一四パーセントとされているから、原告は右事件後少なくとも五年間は右後遺症に悩まされるものと考えられ、その期間の逸失利益はつぎのとおり金一〇二万二九一〇円である。
1、461、300円×0・14×5=1、022、910円
なお、被告らは自動車損害賠償保障法施行令別表を援用することに異論があるふしであるが、右は直接には原因が交通事故による傷害の程度であるけれども、その原因の如何を問わずその傷害の程度であるならば作業能力は健全な人に比して同程度の喪失があるものと一般に考えて差支えないし、また原告は現に就労はしていないけれども労働に限らずその人の一般的な作業能力喪失があると考えられて然るべきである。
3 前記のとおり被告乙山春夫の本件加害行為はいわゆるいじめに相当する極めて悪質の故意行為であることと、原告が入院中の被告らの謝罪はさることながら退院後の被告らには誠実に損害賠償に応じる態度が見受けられないことが《証拠略》によって認められるところであるし、原告自身の被告乙山春夫に対する被害感情が相当程度であることが《証拠略》によって認められるところであるから、後遺症慰謝料としては原告の請求する金三〇〇万円をもって相当と認める。
《証拠判断略》
4 原告は下顎骨折により不正咬合状態となっており、矯正治療を受ける必要があるが、成長期でもあり、医者から治療時期は大学進学後にすべきであると指摘されていることが《証拠略》によって認められるところであるから、原告の請求するその矯正治療見込み金額としての金一〇〇万円は相当であるとしてこれを認める。
三 以上合計すると、原告の損害額は金六〇六万七七三五円となる。
第四、よって本訴請求のうち、被告らに対し、連帯して金六〇六万七七三五円およびこれに対する症状固定日の翌日である平成二年八月二九日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求はこれを認容することとし、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九三条第一項但書、第九二条但書、第八九条を適用して全部被告らの連帯負担とし、原告勝訴部分の仮執行宣言につき同法第一九六条第一項を適用してこれを付すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判官 宗 哲朗)